サラワク旅行記 2000年7月編
>>そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神の招きにあひて、取もの手につかず<<
松尾芭蕉 奥の細道:序章
今年は少し早めに夏休みをとった。仕事の関係上、やはり1週間が限度だが、貴重な夏休みだ。有意義に過ごさないと…などとおもいつつ、なぜかまたジャングルへと向かってしまう。現地では魚や水草に出会う喜び以上に体力的な疲労で辟易するのだが、松尾芭蕉ではないが、夏休みシーズンになると何やら「上」のほうから頭のなかに降りてくるのである。(ちょっと電波系:笑)
しかし、今回の旅行は日本にいるときからトラブル続きで、採集よりもそっちのほうのストレスが大きかった。まず、航空券である。夏休み1カ月前から予約していたのだが、1週間前になっても航空券が届かない。5日前になってとうとうしびれを切らし、旅行会社に電話すると何やらあわてている。結局予定どおりに出発できたのであるが、何やら波乱の兆しである。
さらに、最近のサラワクは生物の持ち出しに厳しくなっているとの情報が入り、これまたブルー。いつものようにクーラーボックスで出かけようと思っていたのだが、それはかなりやばいことが判明し、スーツケースを購入するはめになってしまった。結局ブツは、現地から日本へ送ってしまったので、装備用のトランクになってしまったが…。
7月6日
11時の福岡発クアラルンプール行きのマレーシア航空に乗るため空港に向かうが、同僚の出勤時間と重なったため、すれ違うすれ違う。ハンドル越しに手を振りつつひとまずは愛車のディーラーへ。福岡空港周辺は車のディーラーが多く、僕の車も近くのいすずで購入したものだ。なぜそこへ向かうかというと、数日前からパワーウインドの調子が悪くなって、窓ガラスが溝から脱臼するようになったのを修理してもらうためである(またまたトラブルだ)。「ついでに足回りも見といてねー」などといいつつ車を預けて空港へ向かった。
飛行機に乗ってからは、特にトラブルもなく(というより飯にも気付かないほどの爆睡モード)クアラルンプールでの乗り換えもスムーズに、無事クチンに到着した。
ところが・である。到着した現地時間は午後11時を回っていた。とりあえず、定宿のボルネオホテルに電話をかけたのだが、当然今回も事前に予約など入れていない。いつもはまったく問題ないのだが、今回に限って部屋がいっぱいでとまれない。しかたないので空港の案内カウンターで安いホテルを紹介してもらう。ここでは5泊分のクーポン券を購入していくことになっているのだが、僕の所持金は去年の旅行の余りの100RM(リンギット)少々。この時間、当然銀行は閉まっているのでとても全部は払えない。困っていると、受け付けのゴーさん(GoではなくGohと綴る)というきれいな女性が立て替えてくれた。うぅ ありがとうゴーさん。とりあえず明日ゴーさんと会う約束をしてタクシーでホテルへ向かった。
着いたホテルはボルネオホテルに近く、大体土地鑑があるので安心した。ロビーに踏み込むと、5〜6人がソファーのあたりでたむろしており、一階のカラオケバーから誰かが大音量でがなっているのが聞こえる.おおっ、ちょっとまずかったかな?などと思いつつチェックインを済ませて部屋に向かう.ロビーでエレベーターを待っていると、やがて降りてきたエレベータの中から、人相の良くない男とケバイ露出度の高い服をきたおねーちゃんがイチャイチャしながら出てきた.二人と入れ替わりにエレベーターに乗り込むと、思わずにやりとしてしまった.この庶民的なだらだら感!東南アジアにやってきたという実感が沸いてきたのだ。
ホテルの部屋は平均的な日本のビジネスホテルのツインルームほどの広さで、テレビ、冷蔵庫、温水シャワーがついている。またちょっとガタガタうるさいが、エアコンもついているので快適に過ごせそうだ。明日はLundu方面に向かう予定だ。ゆっくり休むとしよう。
7月7日
8時起床。とりあえずホテルの人にレンタカーの手配をしてもらう。10時ごろにならないと車がこないとのことで、一旦町に向かう。まずは両替だ。サラワクプラザの地下にある本屋でいつものように両替を済ませ、暇つぶしにウォーターフロントのあたりをぶらぶらする。 サラワク川の濁った水面をのぞき込むと、アーチャーフィッシュの群れが泳いでいる。マレー半島とは違うタイプのアーチャーがいる。
ホテルに戻ってぼんやりしていると10時すぎにレンタカー会社の人がホテルに迎えにきたので、会社まで車を受け取りに行く。用意してあったのはプロトン・プロデュア。外観は少し傷がある程度だったのだが、乗ってみてびっくり。エアコンをかけると時々ファンベルトのあたりからすごい音がする。トランクのふたがなかなか閉まらない。一回閉めてしまうとシートの横のレバーが壊れているので、キーであけないといけない(これのせいで後でオオゴトになってしまうのだが…)。ハンドルが少しゆがんでいる。これって完全な事故車である。また、後で気づいたのであるが、時々エンジンがかかりにくい。一番安いのを頼んだのがまずかったなあなどと思いつつも、とりあえずポイントに向かって出発した。
まずはクチンから西に向かい、Ma-onn-roadに寄ってみた。数年前ここではケラsp“ルビーバルブ”を見かけたのだが、今年は状況が一変していた。ブラックウォーターの細流の上流部分で道路工事が行われており、重油が流入していたのだ。去年に比べ水量は豊富で水質の悪化も無いようであったが、水面に薄く重油が広がっている。水面下にはちらちら魚影が見えるのだが、とても踏み込む気にはならなかった。
Ma-onn-roadはあきらめ、前回クリプトを見かけたカカオ畑に行ってみる。しかし、ここでも様相が一変していた。ブラックウオーターの流れの両岸の木が伐採され、新しい苗木が植えられていたのだ。僕が見かけた場所ではクリプトは完全に消滅していた。周りの林を探索してみたのだが、あるのはバークラヤばかりで、クリプトは見つからなかった。今回は上流部のみの探索だったので、下流に関してはノーチェックである。もしかすると下流部に残っているかもしれないが、今回はあきらめて早々にLunduにむかった。
カカオ畑からBau方面に向かい、T字路を右折してLunduへ向かう。このあたりはクリプトコリネ・キーイがあるらしいのだが、今回は特に探さなかった。LunduはKuchingから西に60キロほどのところにある。ぼくはLunduの町には行ったことがない。というのも、ポイントが町に向かうカーフェリー乗り場よりKuching側にあるからだ。レンタカーを飛ばして昼過ぎに到着した。郊外の道路は70~90キロ制限なので、移動はスムーズだ。
まずはいつもの下流側からの探索だ。開けた場所で日光がよくあたっているところにはブリクサが生えている。ブリクサや、水中の流木、岸際の草陰に網を入れると、レッドラインラスボラに混じってリコリスグーラミーが網に入ってくる。アラニー種のブラウンタイプだ。今年も個体数は多いようだ。時期的なものか、大型の個体ばかりが網に入ってくる。さらに下流に移動する。そこらじゅうブリクサだらけだ。やや水草は少なくなってくるが、今度はベタ・レイーが網に入ってきた。こいつは以前ベタsp.affプグナックスと呼ばれていた種類だ。個体数はそれほど少なくなさそうだが、テリトリーが広いようなので、アラニーのようにいっぺんに2匹以上網に入ってくることはない。
ここは結構有名(?)なクリプトのポイントである.よく雑誌に、サラワク州のクリプト自生地として写真が掲載されている.今回はクリプトの花を探すことも重要な任務なのだが、下流側では発見できず、だいぶ日の傾いたころになって上流側で発見した.発見した花は黄色に紫の縁どりが入る大きなもので、全長30センチ近くあった.帰国後雑誌の整理をしていたらここで採集したと思われる株の記事が載っていた(アクアライフ2000年4月号).それによると、クリプトコリネ・ゾナータということで、レヨンベールアクアの佐々木氏も同意見だった.詳しくは後で述べるが、もう一箇所今回の旅行でゾナータの自生地を発見したのだが、そこで咲いていた花と、アクアライフの記事、Lundu産の花を比較すると、どれもまったく違った花のようにみえる.環境によって葉だけでなく花まで変わってしまうとなると、種類を同定するのはアマチュアでは至難の技だ。
日もだいぶ傾いてきたのでKuchingへ戻ることにした。日が落ちると涼しくなるので、夜のドライブは快適だ。びゅんびゅん飛ばして町まで戻る。ホテルにつくとGohさんから電話があったとのことだ。早速連絡をとると、ホテルまでお金を取りに来てくれた。食事にでも誘おうかと思っていたのだが、パパと一緒だったので断念した。でもアリガトネ。
近くの食堂で夕食をとる。今日はマレーシアでいうところのチキンライスだ。マレーシアでいうチキンライスとは、日本のケチャップご飯にあらず。鳥がらでとったストックで炊いたご飯に、味付けしたチキンの切り身がのっているといったものだ。食堂の近くに遅くまで開いているスーパーを発見。飲み物を購入し、ホテルへと戻りサンプルの整理をして明日の作戦を立てる。
さあ、明日はGedongへ向かいベタ・ブロウノルムを探すのだ
7月8日
今日は朝から活動開始だ。とりあえず昨日の成果の事務作業を終え、一路Serianへ向かう。クチン市内には、日本のような信号のある交差点は少ない。大きな交差点はたいていロータリーになっていて、スムーズに通過できる。しかし、このせいで市街地ではやたらめったら一方通行が多いので、ひとつ道を間違えると市内をぐるぐる回ってしまう羽目になる。
今回はいつものホテルではないので、ちょっとぐるぐるしてしまったが、なんとか幹線道路に乗ることができた。Serianへの道路は良く整備されていてドライブは快適だ。途中よさそうな細流をいくつか横切るが、今回はあえて無視である。
1時間ほどでSerianについた.食堂で遅い朝食をとり、町を通り抜けてGedongへ向かう。町を出て少し行くと、道の脇に高さが30メートル程もある巨木が一本立っている。白い地肌の幹がすうっと伸びて、てっぺん付近だけに枝葉がついている。正直、ちょっと感動してしまった。見ているだけでなんだか爽快な気分になる。巨木の脇を通り過ぎると、前方にこんもりとした小さな山が見えてくる。幹線道路から脇道に入り、この山を回り込むように海に向かって走るとその先はGedongだ。
山のふもとの丘陵地帯を通り過ぎる。この辺は数年前にレヨンベールの佐々木氏と、ワイルドベタの第一人者である出射氏が遭難しかけたところだ。しばらく行くと丘の上に給水塔が建っている。ここは佐々木氏いうところのバベルの塔で、ここからジャングルに踏み込んで遭難しかけたらしい。とりあえず記念撮影。バベルの塔の丘を下ると、ピートスワンプの中を走るまっすぐな道になる。この道の脇には森を切り開いたパイナップル畑が広がっており、その奥の森から染み出した濃いブラックウォーターが、畑の中の溝を通って道路脇の流れに流れ込んでいる。この流れでは以前、淡水フグのカリオテトラオノドン・サルバトールや各鰭が赤くなる大型のラスボラを採集したことがある。今回はあえて探さなかったが、今年は水量も多いようだ。
道路脇の空き地に車を止め、装備を整えると畑の中へ入り込んだ。今回は、溝をたどって森の中の水源をチェックする作戦だ。アクアマガジンの記述によるとこのあたりの森の中にある水溜りにベタ・ブロウノルムがいるらしい。佐々木氏によると、このあたりは森の中に水溜りや小さな流れが点在しており、クリプトコリネ(ロンギカウダ?)も見られるようだ。数年前は、あまりに疲労しすぎていて炎天下のこの畑を横切ることができずに断念している。今回は午前中のまだ涼しい時間に…と思っていたのだが、もうすでにかなり気温が上がっている。
畑に踏み込んで、パイナップルの間を縫うように森に向かって進んでいく。パイナップルはただ植えっぱなしの状態で、雑草は伸び放題、中には収穫されずに腐ってしまっているものもある。日本ではやれ除草剤がどうの、肥料がどうしたといった話になるところだが、そこは南の島のおおらかさであまり気にしていないし、やる気もないのだろう。アクアリストとしてはありがたいところだが、見方を変えれば安易な焼畑の危険性もはらんでいることは確かだ。
途中で溝の中に網を入れてみると、案の定魚が入ってきた。ベタ・クリマクラとラスボラ・カロクロマだ。非常に濃いブラックウオーターなので、魚も赤味が強く非常に美しい。しかしクリマクラが居るので、この溝では他のラビリンスは希望が薄い。畑の中にある堀っ建て小屋の陰でひと休みし、いよいよ森の中に突入だ。畑の一番はしまで行ったところで、溝はほとんど干上がりかけているような状況だが、おそらくこの先に水源があるはずだ。木の枝をかき分けながら森の中に突入した。
森の中は比較的気温が低いのだが、湿度は高い。下生えには腰の高さほどの大きなシダが生い茂っており、これをかき分けて進むのは重労働だ。さらに採集道具を抱えているために動きづらいことこのうえない。ちょっと進んだだけで汗だくになってしまった。陽が照っていない森の中は蚊がわんわん居て、体の周りを飛び回る。虫避けスプレーをしているので刺されることはないが、あまり気持ちのいいものではない。しばらく進むと溝のくぼみは完全に消滅してしまった。この時点でぼくの疲労は極限に達してしまった。湿度のせいで立ち止まっても体温が下がらない。そこら中潅木とシダだらけで座って休むこともままならない上に、立ち眩みが起こりはじめた。後ろを振り返ってみると、方向がわからなくなりかけているのに気づいた。遠くから車の通る音が聞こえてくるので、大体の方角は分かるのだが、このままでは完全に遭難してしまいそうだ。距離にして50メートルも入り込んではいないのだが、木々に覆い隠されて、入り込んできた場所すらわからない。
とりあえずは、車がときどき通る音がする方へ戻りはじめた。動くとよけい体温が上がってとても苦しい。この時点で、潅木やシダを避けて進んでいるうちに、たどってきた溝もわからなくなってしまった。焦りつつも自分を信じて格闘すること十数分、ようやく森を抜け出してもといた畑に飛び出した。ところが、ぼくは同じ場所に出てきたつもりだったのだが、実際は最初に分け入った場所から50メートル近く離れた場所に出てきていた。びっくりすると同時に、なぜだか「となりのトトロ」のワンシーンを思い出してしまった。トトロに初めて出会ったメイが、またトトロのところに行こうとして薮の中を走って、見当違いのところに飛び出してしまうシーンだ。森の外にはいい風が吹いていて快適だ。しばし座り込んで休息をとる。Tシャツは汗でびしょぬれだ。ようやく体温が下がって楽になってきた。ここでの探索には最低でも二人でククリでも持って、薮を切り開きながら進まないと無理である。こんな状態ではここでの探索はこれ以上無理だと判断し、とりあえず車に戻ることにした。
ふらふらしながら炎天下の畑を横切ってゆく。どうにか堀っ建て小屋にたどり着くとしばし日陰で休憩だ。ハアハアいいながら座っていると、何やら小屋の中でごそごそヒトの動く気配が・・・最初通ったときには気づかなかったのだが、実は小屋の中には人が居たのである。おそらく畑の番小屋なのだろう。中の人は何やらあやしげな足音と息づかいが聞こえたので、ドアの隙間から覗いてみたようだ。ぼくの背後にドアがあるのではっきりとは判らないが、またごそごそ音がして静かになった。泥棒に間違われることはなかったようである。しばらく休んでからまたもと来た道をたどってどうにか車にたどり着いた。
やっと車にたどり着いたぼくは、装備を片付けるとエアコン全開にして車に乗り込んだ。普段の運動不足と、一人でなんとかなると思っていた見通しの甘さを呪うのみである。しばらく休んでようやく元気になってきた。のろのろと車を空き地から出して、道路沿いの畑を見てまわったが、どこも同じような状況で、「ここは!」という場所は見つからなかった。悔しいが、完全に気力がなえてしまい、もう森に踏み込もうという気はなくなってしまった。
とにかく涼しいところへ行こう。そう思った僕は、ベタ・タエニアータのいるクリアウォーターの川に向かうことにした。車をとばしてセリアンに戻る。セリアンの店で、冷えたミネラルウオーターを購入してがぶ飲みする。冷蔵庫に入っている飲み物はかなり割高だが、この際そんなことは言ってられない。のどの乾きもある程度収まったので、前日に購入しておいたプリングルスのポテチをバリバリほうばった。熱中症の原因は、塩分が汗から出ていってしまうことによる電解質異常だ。塩辛いものが異様にうまい。一息ついてなんだか元気が出てきた。
セリアンのバス停の近くに車を停め、しばしぼ〜っとしていると、見なれてはいるがなんだか異様な光景が…バス停でバスを待っている人を見ていて、最初は何が変なのかわからなかったのだがようやく判った。なんと、このボルネオの炎天下でウールのダッフルコートを着ているのだ。たしかに、東南アジアのバスは冷房ガンガンなのでTシャツだけではかなり寒いのだが、そこまでする必要があるのだろうか。東南アジアでは、冷房の寒さをしのぐのに厚着をするというのは、一種のステイタスではあるのだが…
当のコートのお兄ちゃんは悠然とバスに乗って行ってしまった。見ているだけで暑くなってきたので、次のポイントに向かうことにした。セリアンの町を通り抜けて、町の入り口にあるロータリーへ向かう。ロータリーの真中には、巨大なドリアンの像が立っている。今回は、少し季節が外れているので、街中ではドリアンを見かけなかった。あの強烈な匂いは一度かいだら忘れられない。ほのかに町に漂う匂いは、結構いいにおいだ。ウ○コ臭いという人もいるが、ウ○コも薄めればジャスミンの香りだぜ!(香り成分インドールです) 過ぎたるは及ばざるが如しといったところか?
さて、ロータリーをテバガン方面に曲がり目印の鉄橋を探す.ロータリーを曲がってすぐ目印があったような気がしていたが、しばらく行ってもなかなか見つからない.もしや見落として通りすぎてしまったのでは?と不安になってきたころに、目印の鉄橋のあるクリークを見つけた.人の記憶など当てにならないものだ.
鉄橋を渡ってしばらく行くと、未舗装の砂利道になると思っていたのだが、つい最近舗装された真新しいアスファルトが続いている.僕の胸を不安が過った.というのも、以前クアラトレンガヌを訪れたときに、きれいなブラックウオーターのクリークで採集をしたことがあるのだが、クリークの脇を走っている道路が舗装されたばかりの真新しい道路だった.その道路はまだ工事途中で、ある地点より上流は未舗装の砂利道だったのだが、道路が舗装されているところには魚がいないのだ.未舗装の部分からは、驚くほどたくさんの魚影が見られたのだが…工事に伴って少し土手にも手を加えていたようなので魚がいなくても仕方ないのだが、同じ事が起こっていないとも限らないので気が気ではない.
そうこうしているうちにポイントへとたどり着いた.ポイントにかかっている鉄橋にもアスファルトが塗り付けてあるが、川自体には何も手が加わっていないようだ.橋の横にある東屋の脇に車を止めて川原に下りる.以前来たときと変わらず、クリアウォーターがサラサラ流れているが、相変わらず水はやや汚れた感じだ.水温も意外と高く29度ぐらいある.このポイントは上流に村があるので、生活排水が流れ込んでいるのだろう.
早速サンプリング開始だ.水深が浅くて、足場も良いので非常に楽だ.ジャブジャブ歩いていると、足元をプンテウス・セアレイ、ポストフィッシュ、などのプンテウスの仲間が逃げて行く.この辺のポストフィッシュは、黒のバンドが、マーブル模様状になっているので、別種かもしれない。今年はあまり大型のものは居ないが、相変わらずフライングフォックスが群れている.今までの経験上、ベタ・タエニアータは水草の茂っている「いかにもベタが居そうな場所」にはいない.岩盤が剥き出しになったようなところの、岩のくぼみや流木、水中に垂れた根っこの影に隠れているのだ。
川というものはたいてい少しは蛇行しているもので、カーブのインコース側では流れが緩やかで、土砂が堆積し水深は浅くなる.反対に、アウトコース側では流れが速くなり、岸が削られて水深は深くなる.こういった深い場所がベタ・タエニアータの生活の場所であるらしい.流れが速いといってもそれは増水したときで、普段はゆったり流れる「淵」といった感じだ。
たいていこういった所の川岸は、岩盤が露出した崖になっている。足元からすぐにドン深なので滑らないように注意しながら進んでいくと、明らかにベタとわかる魚が水中に張り出した木の根っこの中に逃げ込んでいく。崖から張り出した木の根にぶら下がるようにして、右手と左足を使って、魚を網に追い込んだ。網に入ってきたのは、きれいに発色したベタ・タエニアータの雄だ。今回サンプリグしてみて、マウスブルーダータイプのベタの性格から考えると、生息密度はそれほど低いとは思えなかった。
少し下流に向かうとサラサラ流れる瀬がある。水深が浅いので、ウエーダーごと水中に座り込んでひと休みだ。よく観察すると、そこかしこにボルネオプレコがいる。ときどきなわばり争いだろうか、鮮やかな尾ビレを広げて喧嘩している。陽もだんだん傾いてきたのでクチンに戻ることにした。水の中を歩きながら、「またここに来れるかな?」と思うと少し寂しくなった。
7月9日
以前、アラニー・スリアマンというリコリスグーラミーが輸入されたことがある。そんなこともあって、今回の旅行では今まで行った事がなかったスリアマン迄足を伸ばしてみることにした。スリアマンはクチンの東120キロほどのところにある。ポイントをチェックしながらそちらへ向かっていくと、1日ではたどり着けないし、気になるところをいちいちチェックしていたのではきりがない。そこで、まず一気にスリアマン迄行き、そこから引き返しながらポイントのチェックをしていくことにした。
5時に起床し身支度を整えて、いざ出撃である。ホテルのロビーに下りると、ソファーやフロントのカウンターで、夜勤の人たちが爆睡中だった。完全に撃沈している…やっぱりここはのんびりしてるなあ、と思いつつ車に乗り込みいざ出発だ。
まだ町は暗く、ほとんど車も走っていない。快調にとばしながら一路セリアンへと向かう。走りながら燃料計を見ると、心許ないくらい残りが少ない。昨日のセリアンから帰る途中での豪雨のせいで、とても燃料を気にする余裕など無かったのだ。視界の悪さとつるつるのタイヤのせいで、ヒヤヒヤしながらようやくホテルにたどり着いたのだった。まだ朝が早すぎてスタンドはどこも開いていない。仕方ないのでこのまま走り続けることにした。
セリアンの町を通り過ぎる頃にようやく朝日が昇ってきた。ボルネオの夜明けだ、少し霞がかかっていていい雰囲気だ。町を通り過ぎ、ゲドンへの交差点をすぎると、その先はまだ行ったことのない未知の領域だ。燃料計を気にしつつ、なるべく回転数を上げないようにこまめにシフトチェンジを行う。ここからスリアマンまでは比較的標高の高いところを道が通っているので、ブラックウォーターの魚は望みが薄い様な気がするが、スリアマン自体は標高の低い所なのでそのあたりがねらい目だ。
車をとばしてどんどん進んでいく。このまま進むとスリアマンに着くか着かないかぐらいの所でガス欠だ。地図を見ると、途中に村があるので、期待しながらそこを通るのだが、スタンドらしきものは見あたらない。だんだん焦り始めた頃、やっと峠の茶屋的なスタンドが目に入ってきた。位置的にはセリアンとスリアマンの丁度中間点だ。燃料満タンで一安心。ほっとしながら目的地へと向かった。
いくつかの峠を越え、スリアマンの町に近付いてゆく。次第に民家が増え始め、クチンの郊外のような雰囲気になってきた。いくつかのブラックウォーターの流れを横切るが、どこも最近底を掘ったあとがある。東南アジアの市街地では、水はけをよくするため細流を深く掘り下げることが行われている。これでは魚は望みが薄い。街まで行かずに引き返すことにした。
まだ時間は充分あるので少しシブ方面にまで足を延ばしてみることにした。しばらくゆくが、いつまで経っても標高が高く、お目当てのブラックウォーターの流れが見つからない。そのまま進んでいくと、大きなクリアウォーターの川にかかっている鉄橋を渡った。橋の下をのぞき込むと大きな岩盤の上をきれいな澄んだ水が滔々と流れている。川にはとても降りてゆけそうにないので、支流を探す。少し行くと、おあつらえ向きの細流に出くわした。さっそくウエーダーを用意し、突入する。きれいなクリアウォーターの渓流だ。マウスベタを期待したのだが、採れるのはプンテウスばかり。しばらくすると20センチもあるミストゥスが網に入ってきた。体が金色に輝いて美しい。などといっていると、この鯰は胸ビレの刺をピンと突き立てて防御態勢に入っている。気づいたときには時既に遅く、網に絡まって取れなくなってしまった。殺さないように注意して、バケツの水につけながら格闘すること3分あまり、ようやく刺を外すことができた。とりあえず記念撮影してリリースした。
これ以上進んでも先が見えないので、当初の予定通りクチンに引き返すことにした。スリアマンからクチンまではかなり距離があるので、細かい場所をいちいちチェックしていたのでは時間が足りない。そこで、無駄にわき道に入るよりも幹線道路沿いのめぼしいところをチェックして行くことにした。いくつかの流れをチェックしながらひたすらクチンに戻る。午前中はまだ涼しくてドライブは壮快だ。木々の緑が美しい。
暫く行くと、遠くに橋がかかっていることを示す赤い標識が見えてきた。標識の脇に車を停め、橋の上まで歩いて行く。橋の下を覗き込むと…あった!クリプトコリネの群落だ。さらさらと流れるやや薄い色の澄んだブラックウォーターの中に、グリーンの丸葉のクリプトコリネがたなびいている。あまりにもあっさり見つかったのと、美しい光景に驚いてしまった。急いで車に戻り準備を整えて川に下りる。
川幅は5メートルほどの比較的小さな流れだ。水は透明で、褐色に色づいている。水温も比較的低くてルンドゥなどの様にどんよりした感じがない。水深は30センチぐらいで、いくつかの中州が顔を出している。底は海岸にあるような白い砂で、その下には粘土の層があるようだ。ルンドゥと違い、クリプトコリネの生えている場所にはピートなどの養分がありそうな土壌は見られなかった。これは一種の水耕栽培なのではないだろうか。また、中州は丸坊主で、砂の塊のような感じだが、砂の中にはびっしりとクリプトの根が張り巡らされていてそれ自体がクリプトの塊といった感じだ。
さっそくクリプトの中に網を入れてみると褐色の小型鯰と、シルクリチス、テナガエビが入ってきた。岸よりの草の中からは、淡水ヨウジウオが採れた。しかしお目当てのラビリンスは網に入ってこない。すぐ横に流れ込みがあるのでそこを遡ることにした。底には落ち葉が溜まっていい感じである。落ち葉の中に網を入れてみると、またもやクリマクラが・・・・それにもめげず、どんどん流れを遡る。しかし採れるのは様々なサイズのクリマクラばかり。200メートルほど流れを遡ったが、いっこうに変化無いので、元いた場所に戻ることにした。
とりあえず水質などのデータを取り、クリプトの花を探す。橋の下に大きな水上葉の群落があり、その中に何やら黄色いものがある。水上葉のダークグリーンの中にレモンイエローの物がぽつんとあるのだ。かなり違和感のある光景だ。ぼくのイメージでは、地面をよーく探すとそこには花が・・・・という感じだと思っていたので、それは最初は落ち葉だろうと思っていた。しかし、近付くにつれそれが間違いだということが判った。やっぱりそれは花だったのだ。クリプトコリネ・コルダータに似た黄色い10センチほどの花だ。夢中で写真を撮り、サンプルを採集する。ほかにも3本の花を見つけた。
一通りの記録を取り、採集した魚の写真を撮っているとどこからともなく騒がしい声が・・・顔を上げると下流側の森の中から数人のおばちゃん達が、竹で編んだ篭を下げて出てきた。手には口の広い竹で編んだ篭を持っている。話しかけると、英語は通じなかったがどうやら魚を捕っているようである。腰の篭の中を見せてもらったが、海老やシルクリチス、プンテウスといった魚ばかりで、ラビリンスは入っていなかった。今回は本を持ってこなかったので、写真を見せての情報収集はできなかった。
おばちゃん達は無造作にクリプトの中に篭を突っ込み、足でガシガシかきまわしている。当然ぼくは目が点の状態である。これ見たら佐々木氏が暴れるな・・・と思いながらおばちゃん達について行ってみることにした。しばらく森の中を進み川の中にはいってゆくのだが、どこも淵のようなっていて目当ての魚は捕れそうもない。いつまでもここにいても仕方がないと判断し、先へ進むことにした。まだ先は長いのだ。ぼくはわくわくしながら車を発車させた。
しかし、このあと今回最大のピンチがぼくを襲うのだった。
車をしばらく走らせると、海に向かって伸びる脇道に出くわした。今まで走っていた道は割と標高の高いところを走っているので、海に向かうということは標高が下がって行くということだ。これは!と思い、早速その道に入り込んでみることにした。
しばらく行くと、森が開けて山の中のくぼ地のようなところが現れた。そこは湿原になっており、真中を幅3メートルほどの流れが横切っている。水は白濁したブラックウォーターで、水中にはラスボラの魚影と有茎の水草が繁茂している。水はちょっと汚いが、見た目は書籍で見かけるリコリスの生息地の写真に良く似ている。
早速網を入れてみることにした。車のトランクをあけてウエーダーを取り出し、身に着ける。車を離れようとしたとき、バケツを忘れたことに気づいたので、短パンのポケットからキーを取り出しトランクを開けてバケツを取り出した。キーをウエーダーの胸ポケットに入れ、いざ出陣だ。実際に水に入ってみると想像以上に汚い。水面にはフルーツの種の塊が浮いている。ちょうどかぼちゃの種をスプーンで掻き取ったような状態の、白い繊維質に包まれた種の塊だ。採れる魚もラスボラや、ベタ・クリマクラ(ほんとにどこにでもいる!)ばかりで、お目当てのリコリスはぜんぜん見当たらない。しばらく採集を続けたが、状況は変わらないので次の場所へ向かうことにした。
車に戻ってみると、トランクのふたが1センチほど開いている。この車はトランクのふたのロックが悪いので、閉めるときにきちんと確認していないと、あいたままになっていることがあるのだ。ウエーダーや道具をトランクにしまいこんで、今度はしっかり閉まるようにトランクのふたを力いっぱい閉めようとした。
人間、死ぬ前には、これまでの人生が走馬燈のように脳裏によみがえるというが、エマージェンシー状態では沢山物事を考えることができるということはやはり事実である。車のトランクが閉まるわずか0.5秒ほどの間にこんなに沢山考えることができるのだ。
あれ?あれれれれ?
何か変だぞ。
そういえば、車のキーはどうしたかな?
そういえばさっきウエーダーの胸ポケットに入れたような・・・
だとするとやばいぞ、トランクのふたが閉まっちゃう!
止めないと!止めないと!
がちゃん
やってしまった、いつかはやると思っていたが、こんなボルネオの山の中でやってしまうとは・・・・鍵のつめこみ。
僕はトランクの前でへなへなと崩れ落ちてしまった。いったいどうすればいいのだ、当然JAFは来てくれない。僕は完全に途方に暮れてしまった。マレーシアにはJAFと提携したロードサービスがあるらしいのだが、このときはそんなこと知る由もないし、第一連絡のとり様がない。
ともかく、いつまでも崩れ落ちていても仕方ないので、僕は悪あがきを始めた。貴重品はトランクに収容しているし、幸い車内の温度上昇を防ぐため一カ所窓ガラスをあけたままにしておいたのだ。どうにか運転席のドアを開け、シート脇の壊れたレバーを引いてみる。どこかでワイアーが切れているらしく、トランクはウンともスンともいわない。しばらく考えて、後ろのシートが外れないか試してみることにした。後ろのシートの背もたれがはずせれば、トランクからものが出せるはずだ。案の定、シートは簡単に取り外せそうだ。押したり引っ張ったりすると少し動くのだ。しかし、シートのクッションを少しめくってみて、これもうまくいかないことがわかった。シートは車体にボルトで固定されていて、シート側の固定用の穴に遊びがあるのだ。シートが動いていたのはこの遊びの分だったのだ。
万事窮す!助けを呼びに行こうにも、幹線道路からも大分入り込んでしまったし、第一、幹線道路に戻ったところで、そこから民家まではとても行けそうにない。幸い、さっき採集しているときに数台バイクが通っていた。まずは誰かが通るのを待ってみることにした。
10分ほどすると、案の定バイクが通りかかった。しかし、乗っていた人もこんな場合どうしたらいいかわからないとのこと。確かに、車を持っていない人に車のことを聞いてみても、要領を得ないだろう。車が通りかかるのを待つしかない。
しかし、炎天下に車を止めたままでは、トランク内の温度が上がりすぎてしまう。せっかくのサンプルが煮えてしまっては元も子もない。とりあえずその辺に生えているシダや木の枝を集めて、トランクの上に敷き詰める。トランクをすっぽり覆うように敷くためにはかなりの量を集めなければならない。これだけでも炎天下では結構大変だ。汗だくになりながら何とか必要な量を確保した。しかし、この時点でトランクをさわってみると、かなりあつく焼けている。くだんの小川から水をくんできて木の葉の上に振りかけた。これで少しは温度が下がるし、気化熱でこれ以上温度は上がらないだろう。
車内に戻って車が通りかかるのをまとうと思ったが、車内も非常にあつい。とても長時間いられない。仕方がないので、車を止めた橋の下で待つことにした。橋の下には気持ち良い風が吹いていて非常に爽快である。しかし、僕はそんなことを楽しむ余裕なんて全然なかった。不安と疲労でどんどん暗い気持ちになる。出るのはため息ばかりだ。
待つこと30分あまり、ようやく一台の車が現れた。荷物を満載したくたびれた白いワンボックスで、老人と40歳くらいの中年男が乗っていた。手を振って車を止め、事情を説明しようとするが、なかなか英語が通じない。何とか身振り手振りで話をすると、ようやく理解できたらしいが荷物を何処かへ運ばなければならないとの事だ。とても厄介な用事を頼めるような状況ではなさそうだ。仕方ないので、次を待つことにした。ますます暗くなる(鬱状態)。
ただ橋の下のボーっと座っているだけなのだが、いろいろ考えているとますます落ち込んでくる。また30分ほど待っただろうか、2台目の車が現れた。今度は、きれいな赤いプロトン・サガだ。見た瞬間これは行けそうだぞと思った。手を振って車を止めると、今度は家族満載である。運転していたのは40歳くらいのお父さんだ。英語もばっちり通じる。事情を話すと、しばらく考えてから後ろのシートははずせないのかと聞いてきた。ボルトで留めてあってとてもはずせそうにないというと、自分の車から車載工具を出してくれた。このレンチでボルトをはずせそうだ。お父さんは、「急いでいるのでそのレンチをやるから何とかしなさい。」と言い置いて去っていった。ぼくは礼を言って遠ざかる赤い車に手を振った。工具一本だけでも有ると無いでは大違いだ。家族に今夜の話題を提供した僕は、早速後ろのシートをはずしにかかった。まず足下の二つのボルトをはずしてみる。僕の予想ではこれだけでシートがカパッと外れるはずだ。しかし、そうは問屋がおろさなかった。シートはやはり背もたれの上の方のどこかで固定されていたのだ。クッションを引っ張ったり、シートを少し上に持ち上げたりしてみるのだが、どこでどう固定されているのかわからない。シートをひっぱるとどうにか20センチほどの隙間ができる。その隙間からのぞき込むとトランクと車内を隔てるしきりが見える。その仕切りはなんとダンボールだ・・・やっぱり事故車だ。
ええい!ままよ。
僕は無理矢理シートの隙間に体を押し込んだ。シートがぎしぎしいやな音を立てるが、こっちも必死だ。そんなことかまっていられない。手を伸ばすと仕切りのダンボールに手が届いた。仕切りはトランク側から固定されているので、とりあえず押してみる。あっけなくダンボールが外れてトランクの中が見える。ウエーダーもきちんと確認できた。やったぞ!が、しかし、手が届かない。これ以上体を奥に押し込むのは無理だ。僕は上半身をシートの下につっこんで下半身を開け放したドアの外に出すという、傍目にはかなり間抜けな格好でしばし考えた。そういえば、たも網をトランクの一番奥に放り込んでからウエーダーを脱いだぞ。手をのばし仕切り板の下を探ってみると、あった!たも網だ。僕はたも網をしっかりつかむとウエーダーを引き寄せにかかった。何とか長靴の部分に網が引っかかった。そのまま一気に引き寄せる。
やったぞ、ついにやった!ようやくトランクからキーを回収することができたぞおお!
ほっとした僕は気が抜けたのか、シートにぐにゃりと座り込んでしまった。
しばらく休んでから、これからのことを考えた。思わぬことで時間をつぶしてしまった。これから先クチンへの道はまだまだ残っているのだ。あまりゆっくりしている時間はない。僕はシートのボルトを締め直し始めた。ところが、無理にシートの下に潜り込んだせいで、シート内部のフレームが曲がってしまって、うまく固定できない。仕方ないので、力業でフレームをひん曲げ強引にシートをボルト止めした。よく見ると少しシートがゆがんでいるようだが、固定はばっちりだ。僕はトランクの上からシダの葉っぱを取り除いて、来た道を戻り始めた。
ようやくキーを取り返したぼくは、幹線道路に向かって車を走らせていた。さっきまでの最悪の状況が嘘のようである。しかし、何か大事なことを忘れているのではないかという根拠のない漠然とした不安が僕を取り巻いていた。
予定外のトラブルで大分時間を無駄にしてしまった。幹線道路に戻った僕はクチンに向かってひたすら車を走らせた。ボルネオの日差しも傾きかけている。とりあえず地図で目星をつけておいたPantuという村へ向かうことにした。この村は幹線道路より海側にあり標高が低いため、ピートスワンプが期待できるのだ。
途中いくつかの流れを横切ったが、魚やクリプトのにおいがしない粘土むき出しの川底ばかりだ。しばらく行くと村への脇道が見えてきた。右折して幹線道路から離れしばらく行くと、道路脇にブラックウォーターが流れているのに気づいた。くるまを停めて流れをのぞき込むと、水量も多く濃いブラックウォーターがさらさら流れている。早速網を入れてみると、クロコダイルフィッシュ、レッドラインラスボラなどのおなじみの面々が網に入ってきた。しばらく採集を続けたが、目当てのベタはみつからない。
流れをさかのぼっていくと、森の中からブラックウォーターが流れ出している場所を見つけた。早速森の中に突入だ。森の中に入り込むとすぐに蚊がおそってくる。虫除けスプレーを使っているのでなかなか刺されることはないが、うっとおしいことこの上ない。足下は、木の根の間のくぼみに水がたまっており、その水たまりを伝って森の奥から水が流れてきているようだ。水たまりの底はズブズブのピートで一歩ごとに足が膝までめり込んでいく。水面にはカビのようなものが浮かんでおり、最近まで干上がっていたような印象を受けた。早速足下に網を入れてみると、ベタ・クリマクラが・・・・場所を変えようと、泥と悪戦苦闘しながら数十メートル森の中に入り込んだが、あまりの足下の悪さにへとへとになってしまった。
これ以上の探索は時間的に無理と判断し、道路に戻ることにした。森から抜け出すと、日差しはもう夕方の黄色味を帯びた光線に変わっていた。ウエーダーに付いた泥をブラックウォーターの流れの中で落としていると、ちょっと気になる草の茂みが目に入った。ここで最後の一掬いだ・・・などと思いつつ網を入れてみる。するとスリースポット・グーラミーが網に入ってきた。さらに周辺に網を入れるともう一匹採集することが出来た。
荷物を片づけて、最後に採集した魚をリリースしながら撮影だ。ラスボラやベタはすでに他の場所で撮影済みのものばかりだったのでチェック後にすぐリリースしてしまった。さて、先ほどのグーラミーを撮影しようと網に移してみてびっくり。たいていスリースポットグーラミーは青から紫の光沢のあるグレーをしているのだが、ここの魚は全く違う。きれいな飴色をした、いわばタイガーストライプといった感の色彩をしているのだ。採集できた二匹は明らかに見た目が違い、片方はデコッパチで色も濃く、明らかに雄だ。
こんな時いつも悩むのだが、この魚を果たして持って帰るべきかということだ。自宅の水槽には限りがあるし、魚の相性もある。調子に乗って何でも持って帰ると、もてあまして大変なことになってしまうのだ。今回もここで相当迷ったのだが・・・・・やめた!
・・・今ちょっと後悔しています。
しかし、ここは今後機会があれば時間をかけてみたいポイントだ。今後の課題がまた一つ増えた。
ここまでがんばってきて、肉体的にも精神的にもかなり疲労してきた。やっぱり一日2ポイントが限界かな〜?などと思いつつ、帰る道すがら流れをチェックしていく。ブラックウォーターの流れは多いのだが、簡単に採集できそうなポイントはなかなか無い。もっと時間的余裕があれば、森の奥まで流れをたどることも出来るのだが・・・
光は徐々に赤味を増してくる。もうだめだろうと思いながらも流れをチェックしていくと、民家のすぐ脇に流れがあるのを見つけた。民家があると当然生活排水が流れ込んで、ポイントとしてはだめになっていることも多いのだ。そう思いながらも、一応くるまを停めて流れをチェックする。橋の上から流れをのぞき込むと、そこには黒々としたクリプトコリネの群落が・・・
意外なポイントの出現で、ちょっと焦ってしまった。クリプトコリネの群落は橋の上流側にあるのだが、橋のたもとの茂みはかなり複雑に絡み合っていて、そこから入り込むのはかなり大変そうだ。そうなると民家の方から入り込むしかない・・・。民家側、つまり下流側をのぞき込むと、幸い民家の方から川へ降りるための小道がある。さっそく民家の前の庭というか、空き地というか、とにかく私有地を横切って小道へと降りる。降りたところは、そこから下流に向かって岩盤がむき出しになって浅瀬が続いているような場所だった。おばちゃんと子供が数人水遊びをしている。
川まで降りることはできたのだが、そこから上流に行くのには一苦労だ。橋のすぐ下はかなり水深があるので、ウエーダーでは入り込めない。さらにその両側は岩盤むき出しの崖になっている。仕方ないので、ロッククライミングの要領で岩盤に張り付きながら上流に移動した。子供たちは、いきなり小道の上に異様な風体の男が出現して驚いていたが、僕がお猿さんよろしく岩を伝って移動していると面白がって寄ってきた。僕にはわからない言葉で、わいわいやっている。くそー僕をほっといてくれよ・・・。幸い、しばらくすると飽きてしまったのか、彼らは下流に行ってしまった。
なんとかクリプトの群落にたどり着くと、そこには、やや汚れた感じのクリプトが、3固まりほど生えている。よく探すと、川岸には水上葉の株もちらほら植わっていた。ここのクリプトは、今までの丸葉系ではなく、アーモンド型の細葉系だ。葉に入るでこぼこが非常に美しい。形状から見て、ブローサもしくはキーイであろう。レヨンベールの佐々木氏によると、分布からいってブローサの可能性が高いとのことだ。(※この時点ではこの程度の認識なのだが、このクリプトコリネが全くの新種であるなどと思っても見なかったのである。)
まずは花を探してみたが、なんといっても植わっている絶対数が少ないので花は発見できなかった。しばし、周りを見回しつつ休憩をする。ここも河床は砂地だ。水は薄いブラックウォーターで少しよどんだ感じだ。クリプトの間に網を入れてみたが、なにも入ってこない。さっきの子供たちが暴れ回った後なのだろう。水の汚れはそのせいかな?と思いつつ、データ取りとサンプリングを行い帰路に就いた。
もう日はかげって次第に暗くなってきていた。荷物をトランクに詰め込むと、どっと疲れが押し寄せてきた。今日はいろんなことがあったのだ。ホテルに帰ってシャワーでも浴びよう。僕はそう思いながらクチンにむかって車をスタートさせた。
つづく
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